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  番組が始まって数回は、聞き逃した。

ラジコプレミアムもない時代、対岸の高松の西日本放送を聴きに行くという行動になぜか出なかった。

でもそんな我が身が恥ずかしくなり、番組が始まる前に『定位置』に佇むと雑音が酷いものの意外と聴けた。

それ以降嵌まってしまい、根っからの投稿好きですが拙い文章を孝子さんに読んで貰う『喜びとドキドキ感』に、

毎週のように海岸に佇む切っ掛けになった年末の番組ヒトコマです。

このあと2~3ヶ月に一度という高確率で採用されました(^_^)v




 第14回目 2015年12月28日







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  2016年12月27日の山口放送、採用箇所です。
しばらく採用されない時期が続き、年末になって採用されたものです。
今でも採用される、ってドキドキしますね。
『久しぶり~』なんて言われるなんて、今でもニンマリします。
もう2年半も過ぎようとしているのですね。

 元気な姿でご活躍されるまで、いついつまでもお待ちしています。


   『孝子さん、好きですよ~












  前のブログでひとつやり残したので、掲載します(^_^)v









  ゴールデンウイーク真っただ中で、
旅先で聴くととても新鮮で、私のトークも滑らかに聞こえるかもしれませんね。
今日も楽しい放送目指して、頑張りたいと思います。
昔は駅の伝言板で待ち合わせ場所書いたなぁという方も、
駅の伝言板って何?という方も皆さん最後まで聴いてくださいね。


      あなたの定番待ち合わせ場所は?

  あの曲(待つわ)のおかげで、私本当にのんびりとどこまでも待ってる人に思われるんです。
実はそんな事無かったりするんですけど、待ち合わせ場所小学校の頃に遡っていいですか。
小学生の頃女の子のグループで、休み時間にどこかで遊ぼうっていう時に、
まず集合する場所が学校の二宮金次郎の像の前だった。
 大学生の頃名古屋では、駅近くのナナちゃん人形の足元で待ち合わせが意外と多かった。
東京に出て来てからは歌を書く時に、私は渋谷の人込みの中で立って、
そこの雑踏の中で起こっているドラマを見ながら、書く事が多かったので、
渋谷のハチ公前に半日ぐらい立ってたり、友達と待ち合わせする時もハチ公前が多かった。
 高校時代の時にまた遡っちゃいますけど、
名古屋駅でどこと決めずにボーイフレンドと待ち合わせしたことがあった。
私は勝手に駅の表はすごく人が多いので、駅の裏かなと思って駅の裏で30分待った。
でも全然会えなくて『何て冷たい奴だ』と思って、その頃は携帯電話が無かったので絶対会えないです。
もう30分待っても来なかったんで帰ったんですね。
すごく待たないで帰ってしまって何て奴だと思って夜に電話をしたら、表で待っててくれたらしいんです。
『3時間僕は待ってた』って言われて、それまでプリプリ怒ってたのが、本当にごめんなさいって感じで、
割りとクールに見えた人だったけど、何て温かい人なんだろう。
ともに私って何て冷たい子なんだろう。
そこでちょっと愛情の大きさを測ったりしちゃいましたけど。
今はそういう待ち合わせっていうのはトンとしたことが無いので、ちょっとしてみたいな、なんて思ってる。
 
 ああいう歌(待つわ)を歌っていながら、どちらかというとお待たせしてしまう事が多いかもしれません。

 インスタグラムに時々頂いたお酒って載せてしまうのでお酒とかワインとか、ものすごい飲む人だと思われていて、
ワインをプレゼントされて、『あんまり飲まないんです』って言ったらビックリされたり、
かかりつけのお医者さんに『お酒はほどほどに』と。
メンテで『ちょっと肝臓が疲れてますからお酒はほどほどに』とかって言われたりする。
そのたびに『いや私飲まないです』って言ってるけど、どういう風に思われているのかちょっと心配です。
 


     孝子マイソング


  5月22日に発売される私の約6年ぶりのアルバム「fierte」の中から、
今日は『君がいたあの夏』という曲を聴いて頂きたいと思うんですけども、
この曲は自分でやりたいサウンドがあって、
デモテープを作った時にディレクターとアレンジャーに『こういうのがしたい』という事を言って、
そういう音作りをしてもらったものなんです。
ソロデビューしてからずっと同じかな、1度変えたかな。
家のキーボードで曲を作っているんですけども、構造上リビングにキーボードが置いてあるんです。
リビングなので当然テレビを観に集まったり、お茶を飲んで和んだりとか、
寝る以外の時間はみんながそこに集ってしまうので、
なかなか曲作りをしたり声を出して歌ったりするのが、こっ恥ずかしくてできない。
引っ越しをした時にあろうことか、キーボードのペダルを要らない箱に入れてしまって無くなってしまった。
6年間、『ペダルが無いから』とか『リビングにあるからできません』とかって言ってたら、
とうとう雷が落ちまして『早く何でもいいから創れ』って言われて、
これはマズイという事で、カシオの何千円かで通販でキーボードを買った。
それだったらすごく軽くてどこでも運んで行けて、ベランダでもできますってインスタにも載せました。
そのカシオのキーボードで作った第1号の曲です。

「君がいたあの夏」  

 聴いて頂きましたこの曲いかがでしょうか。
これはラブソングかなと思われるかもしれませんけども、
このアルバムを作っている間、毎日と一生懸命向き合ってる自分が居て、
ずっと昔を遡って振り返って20代30代にもそういうひたむきな自分が居た。
今も心の中にあの頃の自分が居る、そういうのを再確認したそんなレコーディングだったんですけども。
この『君』は私です。
 私も白馬に乗った王子様と待ち合わせをしているんですが、なかなか会えないんですよね。
もうちょっと待ってみますね。という事で『何を言わすんじゃ』。

 ニューアルバム「fierte」が5月22日に発売されます。
このアルバムもう少しで発売なんです、是非手に取ってみてくださいね。
一家に1枚、いや1人1枚でも結構です。





       本日架かった曲

     ♬ あなたにめぐりあう旅 ♬
     ♬ と・も・に ♬
     ♬ Good-Day ♬
     ♬  待つわ ♬  Aming
     ♬ 笑顔にはかなわない ♬
     ♬ 君がいたあの夏 ♬













   ライブのお知らせもなかった。編集している風にも感じない。
最近疲れやすかったので病院で念のため検診してみようかな、との軽い気持ちだったかも知れない。
でも結果は『急性白血病』だった。翌週放送の収録日はもちろん中止になったのだろう。

   2015年11月から3年6ヶ月におよぶ番組の掲載もこれで終了です(^_^)v








  新しい時代 令和時代と新天皇御即位をお祝いして、


当地でも屋台の巡航と、富嶋神社へのお宮入りがありました。


前日の雨も屋台の蔵出しには、小雨程度で済みました。


午前中は部落内を巡航し、各要所で『チョウサ』が行われました。


昼前に濱田南も含め3台の屋台の練りが観られ、厳かで勇ましい男達のかけ声が境内に響き渡っていました。


毎年播州の秋祭りを経験している者にとっては、他の地区が参加していないのが少し淋しかったです。


また10連休の最中ということで、担ぎ手の手配も上手く行かなかったのかチョンボが多かったように感じました。


でもいつもながらこの播州に生まれ育った事を、感謝する季節でもあります。

  

 
   また孝子さんの無事の回復を、神様にお祈りしてきました。












岡村孝子 弟語る無菌室の闘い「母は高齢の体を押して病院へ」

 5/1(水) 11:03配信

女性自身

 「姉はいま、無菌室に入っています。
母と姉の娘がそばについているのですが、
母はもう年も年ですから……」と語るのは、
岡村孝子(57)の実弟。
4月22日、公式サイトで岡村が急性白血病のため
長期治療に入ると発表されたのだ。


【写真】97年に結婚し、長女を出産。03年に離婚した。

 
  彼女のインスタグラムには約1千件の激励や心配の声が寄せられているが、具体的な闘病の様子はまだ伝えられていない。
そんななか、愛知県岡崎市に住む実弟が語ってくれた。
現在は喜寿をすぎた母と21歳になる長女が、つきっきりで看病を続けているという。

 「あまりにも突然入院してしまったため、姉とはまだ話せていません。
今回のことも、母から連絡があって知りました。
もちろん私もすぐ駆けつけたいという思いです。
しかし今はまだしっかりとした検査も終わっていない状況で……。
それがわかってから具体的な治療方針が決まることになるので、行っても邪魔になってしまいます。
だから『男手が必要なことがあったら、すぐに連絡して』と伝えています」


 岡村といえば、大学在学中に加藤晴子(56)とデュオ「あみん」を結成。
1982年のデビュー曲『待つわ』がミリオンセラーを記録すると、同年の『NHK紅白歌合戦』に出場。
一躍、時の人となった。翌83年に活動休止したが、85年にソロデビュー。
87年にリリースした『夢をあきらめないで』をはじめ、数々の名曲を生み出してきた。


だがプライベートは苦難の連続だった。97年には、プロ野球選手だった石井浩郎氏(54)と結婚。
長女にも恵まれたが、03年に離婚した。
以降は、女手ひとつで育児と仕事を続けてきた。
また01年に実父がラブホテル経営に乗り出すも、失敗。15億円もの負債を背負うことに。
さらに岡村も連帯保証人になっていたため、借金の返済に奔走することとなった。


 「岡村さんは岡崎市で135坪もの土地を購入し、両親に家を建ててあげていました。
しかし事業失敗により、その“親孝行御殿”も差し押さえられることになったのです。
それでも彼女はあきらめることなく、地道に借金を返し続けました。
そして一度は手放すこととなった思い出の自宅を、06年になってもう一度買い戻したのです」(前出・スポーツ紙記者)


 そんな矢先、実父が肺がんのため08年に死去。75歳だった。
葬儀では人目もはばからず涙する岡村の姿があったという。


 「その後、お母さんは東京で孝子ちゃんと暮らすことになりました。
お母さんは、いつも孝子ちゃんを支えてきました。
孝子ちゃんの子供がまだ小さいころは、代わりに育児をしてあげたりね。
孝子ちゃんが海外レコーディングなどで1カ月ほど家を空けなくてはならなくなったときも、
お母さんが家に住み込んで世話をしたりしていました」(母の知人)


 そうして、ようやく訪れた穏やかな日々。07年にあみんとしての活動を再開し、ソロとしても活躍。
だがそんな彼女を、病魔が襲ったのだ。それを支えるのは、ほかでもない実母と娘だ。
岡村の実弟がこう思いを明かす。


 「母は高齢の体を押して、病院へ通っています。ただ、かなり心労もたまっているようです。
それに姉の娘もまだ学生ですから。
でも今はただ『大変だと思うけど頑張って』と励ましています。
そして姉にも、その言葉を伝えたいと思っています」



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