番組始まって2枚目のサイン入りポストカード。
この頃はまだラジコも始まっていなく、雑音の中の孝子さんの声をひたすら聴き入っていました。
途中で電波状況が変わり、多少でも良い場所を求めて西東。
雨の日も風の日も『孝子さんとふたりっきりの時間』を過ごした1年半。
大変だったけれども月曜日という『大切な1日』を意識させて頂いた番組で、
孝子さんから名前を読まれ、この個別のサインを頂いた事はこの上ない幸せな事です。
過去を振り返ってばかりではダメなんでしょうけれど、素敵すぎたあの日々は忘れられませんね。
そろそろ孝子さんからの、メッセージが届くかな?!
と、思っていたのですが、残念です。
治療まっただ中なんでしょうね。
こんなファンの戯言、気にしないで治療に専念してね(^_^)v
『あの頃ミュージック』で初のテーマの採用です。
あの頃は純粋に(今でも純粋ですが)、サインが欲しかった。
ファンなのに孝子さんのサインを、ひとつも持っていない。
昔から、『その人からじかに欲しい』との拘りがあった。
CDを買えば、孝子さんのサインが付いてくる。
どこの誰かではなく、目の前で孝子さんからじかに欲しい。
でもそれは高嶺の花の孝子さんは、ムリですね。
でもその孝子さんから、頂いた。
その『重み』が違う。
『行間の想い』を大切にしていたあの頃。
『行間の想い』に全てを込めてたあの頃。
孝子さんに出逢う 遙か昔のあの頃。
西日本放送を聴いていた海岸の、冬の日没です。
こんなに見事なのは、なかなか観られません。
ぜひとも孝子さんにも、直にご覧頂きたいですね。
出来れば肩を並べて『きれいね、でも寒いね。温泉浸かって、眠りたい ❤ 』
西日本放送を毎週月曜日に、海岸の一角で聴いていました。
孝子さんが入院され、月曜日という特別な日がなくなりました。
番組名『岡村孝子 あの頃ミュージック』のあの頃が懐かしくも今でも心に残っています。
この回の採用は、特にお宝です。
インターネットラジオの収録に見事に漏れ、それ以来投稿に熱が入りました。
早く元気になられ、でも確実に病魔を撃退し、
体力にも余力の在る姿で、再びお目にかかれる事をお祈りしています。
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