「姉はいま、無菌室に入っています。
母と姉の娘がそばについているのですが、
母はもう年も年ですから……」と語るのは、
岡村孝子(57)の実弟。
4月22日、公式サイトで岡村が急性白血病のため
長期治療に入ると発表されたのだ。
【写真】97年に結婚し、長女を出産。03年に離婚した。
彼女のインスタグラムには約1千件の激励や心配の声が寄せられているが、具体的な闘病の様子はまだ伝えられていない。
そんななか、愛知県岡崎市に住む実弟が語ってくれた。
現在は喜寿をすぎた母と21歳になる長女が、つきっきりで看病を続けているという。
「あまりにも突然入院してしまったため、姉とはまだ話せていません。
今回のことも、母から連絡があって知りました。
もちろん私もすぐ駆けつけたいという思いです。
しかし今はまだしっかりとした検査も終わっていない状況で……。
それがわかってから具体的な治療方針が決まることになるので、行っても邪魔になってしまいます。
だから『男手が必要なことがあったら、すぐに連絡して』と伝えています」
岡村といえば、大学在学中に加藤晴子(56)とデュオ「あみん」を結成。
1982年のデビュー曲『待つわ』がミリオンセラーを記録すると、同年の『NHK紅白歌合戦』に出場。
一躍、時の人となった。翌83年に活動休止したが、85年にソロデビュー。
87年にリリースした『夢をあきらめないで』をはじめ、数々の名曲を生み出してきた。
だがプライベートは苦難の連続だった。97年には、プロ野球選手だった石井浩郎氏(54)と結婚。
長女にも恵まれたが、03年に離婚した。
以降は、女手ひとつで育児と仕事を続けてきた。
また01年に実父がラブホテル経営に乗り出すも、失敗。15億円もの負債を背負うことに。
さらに岡村も連帯保証人になっていたため、借金の返済に奔走することとなった。
「岡村さんは岡崎市で135坪もの土地を購入し、両親に家を建ててあげていました。
しかし事業失敗により、その“親孝行御殿”も差し押さえられることになったのです。
それでも彼女はあきらめることなく、地道に借金を返し続けました。
そして一度は手放すこととなった思い出の自宅を、06年になってもう一度買い戻したのです」(前出・スポーツ紙記者)
そんな矢先、実父が肺がんのため08年に死去。75歳だった。
葬儀では人目もはばからず涙する岡村の姿があったという。
「その後、お母さんは東京で孝子ちゃんと暮らすことになりました。
お母さんは、いつも孝子ちゃんを支えてきました。
孝子ちゃんの子供がまだ小さいころは、代わりに育児をしてあげたりね。
孝子ちゃんが海外レコーディングなどで1カ月ほど家を空けなくてはならなくなったときも、
お母さんが家に住み込んで世話をしたりしていました」(母の知人)
そうして、ようやく訪れた穏やかな日々。07年にあみんとしての活動を再開し、ソロとしても活躍。
だがそんな彼女を、病魔が襲ったのだ。それを支えるのは、ほかでもない実母と娘だ。
岡村の実弟がこう思いを明かす。
「母は高齢の体を押して、病院へ通っています。ただ、かなり心労もたまっているようです。
それに姉の娘もまだ学生ですから。
でも今はただ『大変だと思うけど頑張って』と励ましています。
そして姉にも、その言葉を伝えたいと思っています」
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